【ゲーム好きの】好きなゲームは自分で決めな!【エッセイ】
今日はゲームを遊ぶということについて個人的に感じたことがあったのでその記事。
あくまで個人の意見や見解、解釈なのでいち意見として、そういう考えもあるんだーと楽しんでもらえれば幸いです。
結論をいうと
ゲームは実際にプレイしてみないと最大限に楽しめない
ということ
きっかけになったゲームは
小島秀夫監督のデスストランディング
と
龍が如く7
と
Horizon Zero Dawn
この3作品。
最近自分がメインにプレイしているゲームですがこのどれもが名作。
全てに共通してる楽しみは
自分が主人公になれるということ。
自分が勇者になって魔王を倒しにいくことこそがゲームをプレイする醍醐味だとおもう。
そしてその過程を存分に楽しんでほしい。
操作方法覚える、うまくなる、知識が増える、物語を体験するなど
プレイしないと味わえないことばかり。
誰が書いたかわからないレビューや批判を見てプレイしないのは本当にもったいない。
誰かに言われたから買うの辞めたとか、クソゲーと決めつけるのではなく
自分で遊ぶゲームは自分で決めなってこと
自分でゲームを選ぶということはその時点でそのゲームを楽しむことを自分で決めているのと同じです。
ゲームも様々な楽しみ方ができるようになっている。
例えば
•youtubeでゲーム実況や生放送でみる。
•情報が充実した攻略サイトを見ながらプレイする
などそれぞれの楽しみ方がある。
余談だが、自分もFPSなどの動画をよく見ますがプレイヤーの擬似体験ができ面白く、更に喋りがうまい実況者ならラジオを聴いてる感じで楽しめる。
だけど、実際にゲームをプレイした感覚とは当然違う。
ハードが進化するのと同時に映像や演出も豪華になった。
それらによって
ほぼフルボイスがあたりまえになり。
映像作品として楽しめるようになった。
それと同時に
これ映画やアニメでいいじゃん
ということにもなった。
これらを再度ゲーム化するためには
もう一度プレイヤーを主人公にする必要があった。
主人公の声をあてない
もしくは極力セリフが少ない設定をつかった。
これにより主人公はプレイヤーでありゲームである意味をつくりだした。
↑あえてボイスをいれないドラクエ
他にもFF15は主人公の知らない場面や場所は知らないままストーリーが進行する演出があった。
これにより主人公の孤独や無力さを見事に表現した。
わからない部分を楽しみたいという人には映画や追加コンテンツを楽しんでもらうスタンスでマルチコンテンツを展開した。
これも当時革新的だった。
小説を読んでいる時に感情や声を想像するようにプレイヤーに感情を想像させる作品作りを意識してるように感じる。
感情移入という点では特にデスストやメタルギアは
ホラーアンドステルスによってゲームでなければできない臨場感を生み出した。
さふが小島秀夫監督
これからの時代
アクセスを稼ぐためだけの乱立した否定的なレビューやまとめサイトなどの信用性が特に薄れていくのは間違いない。
ゲーム好きにはこれから自分の目でプレイするゲームを決めてほしい。
遊ぶと決めたゲームをとことん楽しんでほしい。
人気のないゲームだったとしても
今はsnsで仲間をつくれ、コミュニティを簡単にひろげられる。
これらをどんどん活用して
存分にゲームを楽しむべきだとおもう。
まとめると
どんなことに置いても人の目や、評価、批判を気にすることはあるが、
せっかく自分の好きなゲームに時間を使うのなら
これからの時代
自分でプレイするゲームを決め
実際に自分でプレイするべきだ。
と思う。
今回は自分の思ってることをつらつらと書いた。
あくまで個人の意見と見解、解釈なのでそういう意見もあるんだなという風に見てもらえたら幸いです!